vol.78 この宇宙の秘密について
・スーザンさんからのお便り①
・スーザンさんの搾取についての鋭い受け取り方
・月読之大神とみわの魔導師の集合魂に関しての見解
・根源的なエネルギーとは
・認識が自我の発露
・フラクタル構造についてのスーザンさんの見解
はい、今日は4月8日ですね。スーザンさんの質問が来てます。質問というか、 なんかこう、刃を突きつけられてるような感じで。スーザンさんに関してはですね、非常にドキドキしますけども。
『目風様
動画vol.22~26にて詳細なご回答を頂き誠にありがとうございました。
動画の中で「裏の方々の有り様」や「宇宙人の真実」「支配者たちの搾取方法」について様々な情報をお伝え頂きましたが、私の想像とは全く異なる切り口からのご解説も多く、大いに勉強させて頂きました。』
ありがとうございます。
『搾取に関しましては、人類が個人レベルでも国家レベルでも互いに争い合うよう仕向け、そこからエネルギーを奪うという基本方針があると理解しておりますが、宇宙全史や他の動画を拝見しておりますと、日本の場合はさらに、(争い合うという状況の反動を利用して)本来当然備わっているはずの抵抗力まで奪われており、その二重に奪われてしまった異常な状態を、浅い平和論などを用いた洗脳によって日常的な状態にされてしまっているように感じました。』
おー鋭いですね、受け取り方がやっぱ深いですね。
『以上の点も含め、まだまだ理解の浅い箇所が多くあると感じておりますが、本日も何とか宇宙全史の理解を深めるべく、質問をさせて頂きたいと思っておりますと。どうぞよろしくお願いしますと。(古川様に過度のご負担をかけてしまわぬよう、がんばりたいと思います)』
ありがたいです。
『質問①
動画22にて、地球原人の女の子と神官、 そしてそこに介入した陰糸という複雑な構図についてご解説頂き、誠にありがとうございました。
私が無知なまま何も知らずに生かされている間に、
地球という場を作り上げるため、地球や魔導士の方々による想像を絶するお働きがあったこと、 再認識致しました。「裏の存在たち」の摩訶不思議な有り様は、当然のごとく人智を超越していると思われますが、そういった方々の(裏側からの)地球のサポートというのは、地上の生命には絶対に必要だが、一般には誰もやりたくないようなお仕事を引き受けておられることが多いように感じました。
しかも、そのような難しいお仕事をなさる過程では当然のごとく様々なカルマが生じてくると思われますが、 その解消すら、裏から地球をサポートするという形になっており、そして、やはり当然のごとく人類はその事実を知らない…
このように考えておりますと、「裏の存在たち」と人類とでは存在意義が全く異なるように感じるのですが、(少なくとも公平な関係性ではないように思われます)
例えば、非公開情報5では、古川様の本体あるいは魔導師の集合魂に関しまして、
⚫︎月読之大神「両面持っている存在だからね(p.13)」
⚫︎みわ「二つの面があります(p.13)」
⚫︎月読之大神「アンビバレンツが持ち味といってもいいと思うよ(p.19)」とのお言葉はあり、その詳細に関しましては、古川様の本体が「謎」あるいは「深淵」とご回答されております。』
これはね、深いですね。
『これはつまり、一つの存在(古川様の本体あるいは集合魂)の中に、二つの存在(二極)が共存しているという不可思議な状態が、真我を越えて「深淵」という領域にまで繋がっているということなのでしょうか?』
これは違いますね。2つの存在、2極が共存しているっていうのは確かにあるんですけども、
それを超えて深淵というのがですね、また別っていうか、もっとはるかに上です。深淵というのは。
2極が共存してるってのは、もう真我に、真我でもないんだけど、真我の、まあ実存ですね。真我の1歩手前の領域が抱えている、抱えている、ありようかな、ですね。
それは不可思議といえば不可思議なんですけど、やっぱし。ここはね、難しい。
でも大体スーザンさんが思っておられることと、合致してますね。
『質問② 宇宙全史1、p.425にて、
● 私たちをして私たちたらしめるもの......それが「私」です。
● ここでお話ししている「私」は自我(エゴ)の私ではありません。二サルガダッタの提唱されている「私は在る」という意識感覚(根源的なアイデンティティ)というのが最も正確な言い方だと思います。
とご解説頂いておりますが、こちらで述べられている「私」という根源的なアイデンティティというのは、自我(エゴ)を成り立たせる上で土台のような役割をするものと考えてよろしいのでしょうか?
宇宙全史1、p.425や動画50を拝見し、「私」という根源的なアイデンティティ=「気づき」が、現われの世界の大元にあるエネルギーのように思われましたので』
そうですね
『上記のような質問に至りました。』
私たちをして私たちをたらしめるもの…なるほど。
まだあるけど、ちょっとここまでで説明しましょうかね。出来るかどうか分かりませんけども、難しいので質問が。
まずですね、気づきのエネルギーっていうのは、本当にもう根源的なエネルギーです。意志や意図のエネルギーよりも、元のエネルギーに近いですよね。で、その気づきのエネルギーが含有するっていうか抱合する私というアイデンティティですね。うん。
それがニサルガさんがおっしゃっている「私はある」なんですけども、それと我々が持っているエゴとは全然違いまして、その「私はある」、あるいは気づき、あるいは気づきから出てきた意図、あるいは意志ですね。
意志がどんどんその階層を下りてきて、魂魄体から肉体界に降りてきた時に、我々は認識という意識を持つんですね。認識過程、認識を持つんですよ。で、認識を持った時に、その認識が自我というものを発露するんですよ。
それがエゴですよね。人間の持ってるエゴです。自我と言ってもいいけども、エゴです。
それはニサルガが持っている「私がある」の私とは違います。
スーザンさんもおっしゃってるように、 ニサルガがおっしゃってる「私がある」の「私」があるからこそ人間がエゴというものを持てるんです。
人間がエゴを持てなければこの世界は成立しないです。すぐに滅びてしまいますね、 みんな路頭に迷って。だから、どうしても必要なもので人間はエゴを持つんですね。ただ、そのエゴが、 何回もずっと言っておりますけども、必要なものでもあり、必要でしょう。必要、ないと滅びてしまいますから。
でもそれは人間をがんじがらめにして、しかもエネルギーを奪い取るシステムになってるという、必要ないもの、1番いらないものなんですね、そこがアンビバレンツと言えばアンビバレンツ。
さっきスーザンさんがおっしゃった魔導師に対するアンビバレンツな存在とはちょっと違いますけども、言葉としては必要なものでもあり、必要なものでもないという意味のアンビバレンツですね。それがエゴなんです。
エゴ。
ここまでは、ですね。
『また、動画52にて、
私 → 私の集合魂 → ... → 螺子輪宝宇宙の集合体 → 真我 → 深遠 → ... → 私に戻ってくる
という空前絶後のフラクタル構造があることをお教え頂きましたが、ここで出てきました最初の「私」と最後の「私」というのは同じものと考えてよろしいのでしょうか?』
これはね、 多分ね、あんまり詳しく説明してなかったと思います、その時。大雑把にずっと喋って自分に戻ってくるフラクタル構造と言いましたけども、 そういうふうに教わってもいます。いるんですけども、月(つく)さんから、月読之大神から、多分そんな簡単なもんじゃないです。
自分と。ずっと進化してって、真我に戻って、で、真我からさらに真我を超えて行ったもので、さらにずっと行ったものと今の自分とが同じかったら全然違います。
循環して繋がってはいるけども、違いますよ。それは同じものとは考えないでください。そんな甘くはないです。
だから、僕の説明が悪かったと思いますね。だから今ここで修正しておきます。
『字義通り同じ「私」と捉えるよりは、
⚫︎確かに月読之大神や五井先生「はあなた方と同列にあるよ」と仰いますが、それはまた意味合いが違うのですと。
(質疑応答15、p321)
⚫︎つまりフラクタルですね(質疑応答15、p322)といったニュアンス(部分と全体が同じものであるという意味)で、
同じものと捉えた方が正解なのではないかという感じがしております。』
全くその通り。スーザンさんは弟子にしたいくらいだね。本当にもう僕の先生かもしれないね。その通りです。
質問③です。今度は。今10分いった?じゃあこれは次、質問③は次の回にやりましょう。今日はここまで。